杉原 千畝(ちうね)

数年に及んだナチスによるヨーロッパ支配は、人間の本性の最悪の部分をあらわにした。
1100万人以上の民間人(ロマ族、同性愛者、政治的反体制派も含む)が、大部分は(ユダヤ人だった)が追放され、おとしめられ、むごたらしい扱いを受け、最後にはホロコースト(大虐殺)の犠牲になった。

皮肉なのは、この時期には人間の本性の最善の部分を示す例も見られたことだ。

善意による、英雄的な、そして自己犠牲を伴う驚くべき行動で、迫害の犠牲者を救う人たちがいた。

それも彼らの大部分は、ほとんど知らない相手に手を差し伸べたのだ。

しかし、ホロコーストの時代に最も効果を発揮したと言ってもいい救援活動の1つは、長い間ほとんど知られることがなかった。

始まりは1940年の夏のある日、明け方近くのことだった。

200人のポーランド系ユダヤ人がリトアニアの日本領事館の門前に押し寄せ、ナチスの東欧への進攻から逃れようと助けを求めた。

彼らが助けを求める相手に日本の外交官を選んだことは、不思議に思える。当時、ナチス・ドイツと帝政日本は、利害を共有する密接な関係にあった。

実際、両国の絆と相互利益は非常に強く、まもなく他国にも働きかけて、残りの世界と対決する戦時同盟を結ぶことになる。そのような状況下で、なぜ第三帝国の憎悪の対象だったユダヤ人たちは、ヒトラーと同盟関係にある国に慈悲を求めようとしたのだろう?

その答えを知るには、それより少し前の1930年代半ばまでさかのぼる必要がある。

当時の日本は、まだヒトラーのドイツと親密な戦略的同盟を結ぶ前で、追放されたユダヤ人を受け入れ、彼らが上海の居留地に簡単に渡れるように便宜を図っていた。

それと引き換えに、国際的ユダヤ人コミュニティーからの財政的支援と政治的親善を確保しようとしたのだ。

戦争前の時期には、(アメリカを含む)世界のほとんどの国はヒトラーの「最終的解決」の餌食になろうとしていた。

ユダヤ人から背を向けていたため、矛盾するようだが、ヒトラーの同盟国である日本が、彼らに保護を与えることになった(Kranzler, 1976)。

1940年7月に、200人の「餌食」がリトアニアの日本領事館の扉の外に押し寄せたとき、彼らはその扉の奥にいる男性が、生き延びるための最善の、そしておそらく最後の頼みの綱になるとわかっていた。

杉原千畝(ちうね)という名のその人物は、どこからどう見ても救世主になるような人物には見えなかった。

当時の彼は、外交官としてのキャリアも半ばに差し掛かったころで、経歴と家柄は申し分なく、順調に外交畑での出世コースを歩んでいた。彼は政府の役人の息子で、武士の家系だった。

武士階級は、忠誠と優れた技能、そして戦地で見せる勇猛さで知られる。杉原は職業人としての目標を高く設定し、いつの日かロシア駐留日本大使になることを夢見ていた。また、もてなしやパーティーを好み、音楽にも造詣が深かった。

このように表面的には楽しむことが好きな、生涯を外交官として過ごしてきたこの男が、自分のキャリアと評判、将来を危険にさらしてまで、午前5時15分に彼を目覚めさせたユダヤ人たちを助ける行動を起こすとは想像しがたい。

ところが、彼はまさにその行動をとることを選んだ(その結果として、自分と家族にどれほどの危険が待ち受けているかをよくわかっていたにもかかわらず)。

門の外に集まった人たちから話を聞いた杉原は、事態の深刻さを理解し、東京に電報を打って彼らに入国ビザを発行する許可を求めた。

日本の寛大なビザと定住政策の一部は、まだユダヤ人にも適用されてはいたのだが、彼のこのリクエストは即座に却下された。

彼は諦めずに二度目、三度目のリクエストを送り、これが必要な援助であることを懸命に説明した。だが、結果は同じだった。

キャリア官僚である杉原は、生涯のこの時点で、それまでの快適な生活も、外交官としての野心もなげうって、誰もが予想だにしなかった行動をとる。二度もはっきりと繰り返された禁止命令に真っ向から逆らって、必要な旅行書類を書き始めたのだ。

そのために彼は、自分のキャリアを犠牲にすることになった。

1カ月のうちに総領事の職を解かれ、ベルリンに転属となり、重要ではない職を与えられて、もう自由に行動することはできなくなった。

やがて、不服従を理由に外務省を免職になる。戦後には屈辱的な生活を強いられ、電球を売って暮らすほどに落ちぶれていた。

しかし、リトアニアの領事館を閉鎖するまでの数週間に、彼は自分が進むと決めた道を断固として貫き、昼も夜もなく応募者の面接を行い、亡命に必要な書類を用意した。領事館が閉鎖された後でさえ、ホテルに居を定めてビザを書き続けた。

心労のため痩せ細り、疲れ果てても、また同じ心労で妻がまだ幼い子どもの世話ができなくなっても、彼は休むことなくビザを書き続けた。

ベルリンへ向かう列車を待つプラットホームでも、列車に乗り込んでからも、まだ書くことを止めず、命を助ける書類を必死につかもうとする手にそれを差し出し、最終的には数千人の命を救った。

そしてついに列車が動き始めると、彼は書類を受け取れないままプラットホームに残された人たちに向かって、深く頭を下げて謝罪し、援助者としての自分の力不足に許しを求めた(Watanabe, 1994)。

(以上、ダイレクト出版)

 

daihyo

投稿者プロフィール

地場の自動車ディーラーの株式会社ホンダクリオ徳島にて、営業・マーケティング・支店運営責任者を歴任。米国の先進的営業手法教育プログラムPSS(プロフェッショナル・セリング・スキル)を体得し、商圏が小さいにもかかわらず大都市圏のライバルを抑え、中四国地域販売台数トップセールスに5年連続輝く。平成2年家業大表建設株式会社(現社名:ダイヒョウ株式会社)に転職。専務取締役歴任後、代表取締役に就任。平成10年インターネットに出会い、日興証券のエンジェルキャピタルを得た株式会社アルファベティックアクション(現在、株式会社KSKアルパ)のシステム開発に参画する。以降、インターネットマーケティングの研究と各種携帯電話ソリューション事業を展開。2005年11月に、高齢者向け賃貸住宅コンサルティング、アパマン経営コンサルティングなどの各種コンサルティング事業を手がける有限会社ウェルライフ徳島を設立。同、代表取締役に就任。現在、全国のクライアントの個別コンサルティング及び小口不動産証券化ビジネススキーム構築のために全国行脚を積極的に展開中。昭和37年徳島県徳島市生まれ。血液型O型。

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